一昔前の1年ほどを、上海で過ごしたことがあります。
通っていた大学の提携校へ、交換留学生として派遣された時のことです。

留学先を選んだ経緯

学生当時に中国語を専攻していたことで、自ずと留学先は中国へとかたまっていました。
当時、北京語言大学から招かれた先生に教わったこともあり、北京語言大学に行くのがいいとすっかり刷り込まれていました。

当初の計画では、まずは2回生の後期から半年間、自費で北京へ向かうつもりでした。そしてその翌年、学内で実施される交換留学生候補の試験を受けるつもりでいました。
これは、学費及び生活費など全額免除となるため、そこそこ競争率が高いんです。英語圏のそれに比べればそうでもないけれど。なので、半年留学して語学力を上げてから挑戦しようと思っていたのです。

北京へ向かうつもりだった、というあたりからわかる通り、北京行は計画のみで終わりました。その年、大陸ではSARSが大流行し、実際は留学そのものが取りやめとなってしまったからです。
結局SARSが落ち着いた翌年、3回生の夏から出発する交換留学の試験を受けました。

さあ長い旅に出発!

上海を選んだのは感染者が出なかったこともあり、家族の心配が少しでも少なくなると思ったからでした。いや、中国へ留学なんて言い出す時点でもう心配だったことだろうと思います。
でも、親の心配子知らずです。そんなこんなで上海へと旅立ちました。

その当時、航空券のことは何一つ知らず、実家へ帰省するときはANAのスカイメイトを利用して、毎度半額で飛行機に乗っていました。
「オープンチケットって何?」よくわからないまま、学校が勧める、贅沢にもANAの1年オープンのチケットを購入して出発したのでした。

当時はまだそんなにインターネットを使いこなせておらず、ものすごくアナログな世界で生きていました。
今もまだそんな部分は残っていますが、当時はまだまだインターネット完全普及の時代ではなかったなと。

国内航空会社初の機内食

国内の航空会社だからなのか、機内食はそこそこに美味しかったような気がします。
あんまり記憶にはないけれど、記念に写真に撮ってみたんでしょうね。

上海では、後に私の生涯の友となる人物と出会うのですが、彼女たちは空路ではなく、航路にて上海へと渡っていたことが、出会ってからわかりました。非常にたくましい!
しかも、台風の影響が残る荒波を越えて上陸したというから、さらに心強い友です。

大きな期待と不安を抱えて日本を出発した私たちでしたが、現地上海では予想以上に面食らう展開に、最初はテンションが下がることもありました。
しかし慣れというのは素晴らしい人間の感覚ではないでしょうか?それまではテンションが下がってしまうような出来事も、慣れてしまえばネタでしかない!いまだに当時の留学仲間と盛り上がればそれがネタとなるのだから。

そんなネタと懐かしい思い出を、何回かに分けてつづっていきます。