ここまでの上海留学時代のお話は遊んでばっかりのように思えますが、ちゃんと勉強もしていたのですよ。
最初のころは・・・ですが。
懐かしい授業風景
さて、本業の学業はと言うと、予定よりも遅く授業が始まったこともあり、1ヶ月近くもブラブラと観光したり、生活の基盤を作り、また留学生同士の交流はかりました。
いざ授業が始まると、そんなのんびりとした時間はしばらく持てませんでした。宿題はないけれど、授業についていくのに必死で予習と復習に授業後の時間を費やしました。
最初の1ヶ月ほどは、なかなか先生の言っていることも聞き取れなかったし、そんなに喋れませんでしたしね。日本で学内の試験を突破し、交換留学生としてやってきたというのに情けないと思うばかりでした。
授業は朝8時からとわりと早めに始まり、午前中には終わります。なので午後からの時間は自主的にお勉強。
しばらくは、しっかり予習していれば何とか次の授業で先生が教科書のどこを進めているかわかる、そんな状態でした。
そもそもクラスのレベル分けの試験で、上位のクラスに入れられてしまったために大変苦労しました。
クラスメイトの半分くらいは、半年前から留学しているメンバーで、もう涙が出るくらいレベルの差はありましたね。
しかし、クラスには同じ大学から派遣された戦友たちもいましたし、切磋琢磨することとなりました。「戦友」と呼ぶのはやはり、1年の留学生活を共に戦い抜いたとの想いからですね。
お互いを支え合ったり、勉強に遊びに寝食を共にした濃い時間で、そんな生涯の友と出会えたのもこの教室でしたね。楽しい時も辛い時もいつも一緒にいたので、まるで家族のようでした。
そんなみんなとは十数年前経った今でも連絡を取り合っており、私にとっては家族と同じくらいなくてはならない存在です。
よく通った日本料理屋
誕生日会などでよく利用した日本料理屋さんです。
古北区という日本人が多く住むエリアにあり、上海に着いて最初の夜ご飯を食べたところです。
学校からは少し距離がありますが、留学仲間のルームメイトに案内されて訪れました。そのルームメイトは韓国人で、半年前から上海に来ていたので慣れたもんでした。
それほど美味しいわけではなかったけれど、日本食が恋しくなったらいつもここでしたね。
いつだかの反日感情が高まった時には、日本関連のお店に石が投げ込まれガラスが割れたり、こちらも大変だったようです。
今はどうなっているんでしょう。
まだまだ続編が続きます!